戦後、未だ殺伐とした雰囲気が残る昭和30年代。
時の天台宗善龍寺の住職米原尋源は“誰かがやらねばならない仕事“を胸にそれまでの農繁期託児所を廃し、社会福祉法人広済会を立ち上げました。
寺の大方を投げだして創った「つつじヶ丘学園」、16名の児童、住職と寺族を含めたスタッフ5名のスタートでした。
法統を継いだ米原文丸(僧名祐尋)はそれ以降、「子どもから大人まで」「保護指導から社会参加・社会自立」「地域福祉」の実現を目指し、必要に応じ、世間の求めに応じながら、制度に先行した拡充を図りました。
物心両面の多大なお力添えを各方面より頂戴しつつ、止まることなく現在もなお、その歩みを続けております。
昭和2年以来 | 宗教法人善龍寺(代表役員 米原尋源)事業として農繁 期託児所、子供会、林間学校等を開設 |
|
昭和30年 | 2月15日 | 児童施設つつじヶ丘学園設置(群馬県認可) |
4月1日 | 児童施設つつじヶ丘学園開園 定員16名 園長 米原尋源 |
|
昭和32年 | 5月1日 | 児童施設つつじヶ丘学園 定員21名となる |
7月24日 | 社会福祉法人広済会認可(厚生大臣) | |
昭和34年 | 7月15日 | 児童施設つつじヶ丘学園園長に米原文丸就任(前県立しろがね学園児童指導員) |
昭和35年 | 3月25日 | 児童施設つつじヶ丘学園 定員40名となる |
昭和39年 | 4月1日 | 児童施設つつじヶ丘学園 定員60名となる 通勤指導棟さつき寮を開設 |
昭和52年 | 4月1日 | 更生施設つつじヶ丘光の園定員 60名となる 総合訓練棟建設 |
昭和49年 | 4月1日 | 更生施設つつじヶ丘光の園開園 定員40名(群馬県認可) 園長 高瀬七郎 |
昭和55年 | 4月1日 | 地域ホームさつき荘開設 定員4名 |
昭和60年 | 10月17日 | つつじヶ丘福祉施設運動場整備完成 |
平成4年 | 3月1日 | グループホームつつじヶ丘ホーム開設 定員4名 |
平成6年 | 4月1日 | つつじヶ丘学園移転 児童施設つつじヶ丘学園はなぞの寮 定員30名 更生施設つつじヶ丘学園みたけ寮 定員30名となる |
平成8年 | 3月1日 | グループホームきくちホーム開設 定員4名 |
平成9年 | 6月1日 | 新里村福祉作業所開所運営 定員10名 |
平成13年 | 4月1日 | 福祉作業所定員15名となる |
10月1日 | グループホーム真栄ホーム開設定員4名 心身障害児集団活動訓練事業つつじキッズクラブ開設 |
|
平成17年 | 4月1日 | 更生施設光の園通所部開設・定員4名 |
平成19年 | 4月1日 | グループホーム「関口ホーム」開設 |
平成23年 | 4月1日 | ケアホーム「つつじの家」開設 |
12月1日 | 「みたけ寮」「光の園」が障害者支援施設に移行(生活介護・施設入所) 「さつき寮」が宿泊型自立訓練事業所へ移行 |
|
平成24年 | 4月1日 | 「はなぞの寮」が福祉型障害児施設へ移行 |
10月1日 | 「桐生市新里町福祉作業所」が多機能型事業所へ移行 各グループホームが共同生活介護・共同生活援助事業所 「つつじヶ丘ホーム」に指定。定員27名 |
|
平成25年 | 4月1日 | 指定相談支援事業所「つつじヶ丘相談支援事業所」開設 キッズクラブが放課後等デイサービス事業所に移行(定員10名) |
平成27年 | 3月31日 | 宿泊型自立訓練事業所「さつき寮」廃止 |
4月1日 | グループホーム「ゆうあいホーム」開所 つつじヶ丘ホーム定員36名となる。 |
|
平成28年 | 9月1日 | 「つつじヶ丘ホーム」定員37名となる。 |
平成29年 | 3月31日 | 福祉型障害児施設「はなぞの寮の廃止」 |
4月1日 | はなぞの寮が障害者支援施設「つつじヶ丘はなぞの」となる(定員30名) 多機能型就労支援事業所「新里町障害者サービス事業所クローバー」を開設(定員22名) |
|
平成30年 | 5月1日 | 「クローバー」定員32名となる |
令和3年 | 3月30日 | つつじヶ丘光の園 新築移転 (本部事務局 相談支援事業所) |